160226 打ち解けるのが遅いと、何ともったいないことか
今日も朝からラパロの縫合トレーニングです。
忙しい朝でしたので、それこそ2分くらいでした。
送別会の時期がやってまいりました。
送別会といえば、送る人、送られる人が挨拶をする機会があります。
そこで感じたことについて、今日は書きたいと思います。
ある方が送別されるときに、みんなの前で挨拶をされました。
普段は寡黙なタイプの看護師さんで、
あまり話をすることもなく、
表情にもあまり出されないので、
私は最後までどんな方なのかわからないままでした。
ところがそこでの挨拶で意外にも、
これまでどんな道を歩んできたのか、
その時の自分の気持ちや考えていたこと、
途中で転機となるようなことがあり、
そこでおみくじを引いて、それについてどのように解釈をしたのか、
それをもとにその後どういうつもりで仕事をしてきたのか、
そしてこれからどういう方向で歩もうとしているのか、
そんなことをしっかりとした口調で、
長い時間でしたが、惹きつけられるような話をされました。
これを聞いていて思ったのが、
忙しい仕事の中でも、しっかりと自分のことを見つめ、深く考えられる、素晴らしい看護師さんだなと感心する一方で、
そんなことを知ることができたのですが、
それこそ最後のタイミングであって、
それまでに知ることができなかったことが
お互いになんともったいないことか、
ということをとても残念に思ったのです。
もっと前に知っていれば、それをきっかけにいろんな話をすることがあったでしょうし、
さらに深く知ることもできたでしょう。
専門の知識を合わせることで、もっと患者さんのためにも力になれただろうし、
何かしらの取り組みにも活かせたのではないでしょうか?
大きな機会損失だったのだろうと想像しました。
特に自分も同じタイプの内向的な人間であり、
こういう後悔を感じるのは初めてのことではないのです。
残り時間が少なくなって、初めてコミュニケーションをとりはじめ、
なんで今までこうしなかったんだろう、
もったいなかったな、と残念な思いが残る。
これはやはり、あまりにももったいないことです。
人づきあいがあまり得意でない私は、
自分から進んで話をしたり、食事をしたりして他人とつながりを持つことが、結構なストレスであり、
平たく言うと面倒なのです。
一方でこういう後悔も感じ、
コミュニケーションから生まれる強い人間関係や、自分の成長、幅が広がる、
などがとても大切で、自分に必要なものだとも強く思います。
そうであれば、やはりここは自分の性格からくる人付き合いの面倒さを少し乗り越えて、
先に広がる世界に一歩踏み出す。
そんな習慣を身につけることが大切であり、そうしようと思ったのです。